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水戸地方裁判所 平成5年(ワ)555号 判決 1995年9月27日

原告

佐川一信

右訴訟代理人弁護士

安徹

後藤直樹

石田省三郎

被告

株式会社日本経済新聞社

右代表者代表取締役

鶴田卓彦

右訴訟代理人弁護士

光石忠敬

光石俊郎

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成五年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、被告発行の日本経済新聞の朝夕刊セット版の朝刊に別紙一記載の謝罪文を別紙二記載の条件で一回掲載せよ。

2  被告は、原告に対し、金一億円及びこれに対する平成五年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、被告が発行する新聞紙上に掲載された記事により名誉を毀損されて精神的苦痛を被ったと主張する原告が、被告に対し、右不法行為に基づく損害賠償として慰謝料の支払いを求めるとともに、名誉回復のための措置として謝罪文の掲載を求めた事案である。

一  前提事実

1  原告は、昭和五九年七月に実施された茨城県水戸市長選挙において初当選して同月三〇日同市長に就任した後、昭和六三年七月の同市長選挙において再選され、更に平成四年七月の同市長選挙において三選されたが、平成五年八月三一日同市長を辞職し、後記3記載の茨城県知事選挙に立候補したものの、約三万五〇〇〇票差で落選した(甲第一四及び第一五号証により認められる)。

2  被告は、「日本経済新聞」との名称の日刊新聞を全国的に発行している株式会社である(当事者間に争いはない)。

3  茨城県においては、平成五年七月二三日同県知事であった竹内藤男が公共事業に絡む大手総合建設会社からの収賄容疑、いわゆる「ゼネコン疑惑」により逮捕され、同年八月同県知事を辞職したことから、知事選挙(以下「本件選挙」という)が実施されることとなったが、本件選挙は、同年九月九日に告示され、同月二六日が投票日であった(当事者間に争いはない)。

4  被告は、本件選挙の選挙運動期間中で投票日前日である同月二五日、東京本社発行にかかる日本経済新聞の朝夕刊セット版の朝刊の社会面に別紙三(一)記載の記事(以下「本件記事」という)を、また同新聞の全日版の社会面に、「清水建設 ヤミ献金リスト作成」との大見出し記事の中で同旨の記事(別紙三(二)記載のとおりであり、以下「本件全日版記事」という)をそれぞれ掲載し、これらの新聞を配付した(当事者間に争いはない)。

なお、茨城県下においては、右朝夕刊セット版は、水戸、土浦、取手、牛久、筑波学園、荒川沖、水海道地域に、また全日版は、古河、日立、鹿島、高萩、友部、下妻、那珂湊地域に、それぞれ配付されている(弁論の全趣旨により認められる)。

5  本件記事のうち、原告が名誉毀損であると主張する見出し、リード部分及び本文の記事の内容は、次のとおりである。

(一) 見出し

本件記事の見出しは、「清水建設」との横書の見出しの下に、白抜きで「大型受注相次ぎ失敗」と縦書の大見出しがあり、その左に「88年、水戸芸術館も 窮状打破へ贈賄?」と同じく縦書の中見出しが配置されている。

(二) リード部分と本文

(1) リード部分の最初の行には、「前茨城県知事、竹内藤男(75)への贈賄容疑で会長、副会長らが逮捕された清水建設が、水戸市が八八年に発注した「水戸芸術館建設工事」で当初受注を本命視されながら、ライバルのゼネコンに逆転受注されていたことが二十四日までの関係者の話で明らかになった」との記述がある。

(2) 本文は、まず水戸芸術館が水戸市制百年を記念して建設されたものであること及び同建物の概要について説明した後、その工事がA、B二工区に分けられて発注され、清水建設がA工区の入札に参加したことを記述し、その後に「関係者によると、当初、A工区は「清水建設が本命」とされていたが、〔中略〕八八年二月の入札では、同社のライバルの別の大手ゼネコン〔中略〕が四十三億八千万円で契約を結んだ。この工事は水戸市発注の工事としては、それまでで過去最大の規模だったため、各社は激しい受注合戦を繰り広げた。清水建設が敗れたのは、ライバル会社が同市幹部などを相手に営業活動を展開、それが功を奏したためだとされた。」との記述がある。

二  原告の主張

1  本件選挙の背景

地方公共団体の首長である県知事・市町村長によるゼネコン疑惑は、平成五年三月六日前自由民主党副総裁が脱税容疑で逮捕され、ゼネコン一八社が一斉捜索を受けたところから始まったが、同年六月二九日仙台市長が、同年七月一九日茨城県猿島郡三和町長が、同月二三日茨城県知事がそれぞれ収賄容疑で逮捕されるに及んで、地方公共団体の首長に対する国民の不信は頂点に達した。そして、ゼネコン疑惑は更に拡大する様相を示し、新聞を始めとする報道機関は、連日の如く公共事業に絡む首長とゼネコン各社との癒着、疑惑、汚職について報道を続けたことから、当時は、公共事業関連記事はすべて疑惑の目で見られる状況であった。

本件選挙は、こうした状況下において、ゼネコン疑惑による知事の辞職という異常な事態を受けて行われることになったのであるから、県民が次の知事に汚職とは無縁な清廉潔白な人物を望むのは当然であり、現にこの点が本件選挙の最大の論点として争われたのである。

2  本件記事の違法性

前記のような状況のもとに本件選挙が行われているにもかかわらず、被告は、その投票日の前日に本件記事及びこれと同旨の本件全日版記事を日本経済新聞に掲載した。

(一) 本件記事の問題点

(1) 前記見出しの「88年、水戸芸術館も 窮状打破へ贈賄?」との部分は、一列に記載され、不完全ではあるものの、文章的に独立の意味を有するとの印象を受けるため、一般読者は、清水建設が大型受注に相次いで失敗したことから、水戸芸術館についても、その窮状を打破するために贈賄をしたのではないかと読まざるをえず、したがって、水戸芸術館建設工事に関しての疑惑が報道されているものと理解しても不思議ではない。

(2) 前記リード部分と本文の記事からは、水戸芸術館建設工事の受注業者は当初清水建設が本命とされていたが、ライバル会社が水戸市幹部などを相手に営業活動を展開したためライバル会社に逆転受注されたことが読み取れる。しかし、このようなことは、正しく指名競争入札が実施されれば有り得ないことであり、したがって、右記事の内容よりすれば、水戸市は、水戸芸術館建設工事に関して、同市の幹部らが建設会社から贈賄などの不正な工作を受けたため、正規の競争入札の結果によらずして落札業者を決定したものと理解する他なく、一般読者が水戸市の幹部に不信を抱くのは当然である。

(二) 本件記事と原告の関連性

ところで、水戸芸術館は水戸市制一〇〇周年の記念事業として建設されたものであるが、これは、原告が水戸市長在職中においてその計画を決定し、且つ建設を実施したものである。そして、この建設と運営は、我が国における文化行政の先駆的役割を果たしたものとして全国的にも高く評価され、一般の人々、特に茨城県民は当然のことながら、水戸芸術館と原告個人とを重ね合わせてイメージしている。

したがって、このような水戸芸術館の建設に関して前記のような記事が掲載されることは、とりもなおさず、原告がゼネコンとの関係で不正行為を行っていたとの疑惑を読者に抱かせるものである。また、本件記事の本文にある「同市幹部」の中には、水戸市の市長であった原告を含むものであることはいうまでもなく、むしろその中心にいる原告を指すものと考えるのが普通であるから、この点においても、原告と建設会社との疑惑を読者に印象づけるものである。

被告は、本件記事は清水建設のゼネコン汚職に関する報道の一環であると主張するが、本件記事を一読すれば、水戸市発注の水戸芸術館建設工事が記事の核心をなしていることは明らかであり、本件記事がゼネコン汚職と原告との関連を読者に伝達しようとしたものであることは疑う余地のないものである。

因みに、本件記事が掲載される前日頃に配布された対立候補による法定選挙ビラの中において、水戸芸術館建設が無駄遣いであり、ゼネコン疑惑等があるとの趣旨の記事があり、かような状況下において、社会的信用性の高い被告の新聞が本件記事を掲載したことは、一般読者に対し、右法定選挙ビラの記事にも信頼性を与えたものといわなければならない。

(三) 本件記事の虚偽性

もとより原告は、水戸芸術館建設工事に関して建設会社との関係で不正行為をしたことはない。また、右工事の発注は適正な指名競争入札によりなされたから、本命視される業者が存在しないのは勿論、原告を含む水戸市幹部が建設会社から営業活動を受けたことはなく、したがって、そのことによって逆転受注されるなどということも有り得ないことである。それにもかかわらず、被告は、原告や水戸市に対し何らの裏付けの取材活動を行うことなく、本件記事を掲載した。

3  被告の責任と原告の損害

以上のとおり、被告の本件記事(本件全日版記事を含む)は、大手総合建設会社との関係において地方公共団体の首長に対する国民の不信が頂点に達した中で施行された本件選挙の投票日前日に、原告と大手総合建設会社との疑惑について故意に、然らずとするも過失により虚偽の報道をなしたものであって、原告の政治的、社会的評価と信用を失墜させ、その名誉を毀損したことは明らかであり、原告は本件記事により多大な精神的苦痛を被った。

また、本件記事は、何者かによって、投票日前日と投票日の午前中に大量にコピーされ、約三〇万枚が茨城県下に配布された。このため、本件選挙の中盤における世論調査によれば、「佐川(原告)優位」とされながら、最終盤になって逆転され、原告は僅か三万五〇三九票差で落選したのであって、本件記事によって原告が受けた痛手は計り知れないものがある。

4  結論

よって、原告は、被告に対し、不法行為(名誉毀損)に基づく慰謝料(原告が政治的再起がほとんど不可能になっていることに対する慰謝料並びに本件記事が本件選挙告示期間中に掲載されなければ、原告が当選したかも知れないことに対する損害)として金一億円及びこれに対する本件訴状送達日(平成五年一〇月二六日)の翌日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、原告の名誉回復のための措置として請求の趣旨1項記載のとおり謝罪文の掲載を求める。

三  被告の主張

1  本件記事と原告の関連性

被告においては、本件選挙運動期間中に清水建設の会長、副会長らが竹内藤男前茨城県知事に対する贈賄容疑で東京地検特捜部に相次いで逮捕されたことから、何故清水建設が贈賄工作をしなければならなかったのかという事件の背景を取材し報道していた。本件記事もこのような清水建設のいわゆる「ゼネコン汚職」に関する一連の報道の一環であり、本件選挙や原告とは何の関係もない。このことは、本件記事が原告に関して何ら記述しておらず、また、原告に関する記事であると疑われるような表現も一切使用していないことからも明らかである。したがって、本件記事は、いかなる意味においても、原告の名誉を毀損するものではない。

2  本件記事の内容

(一) 本件記事の見出し

(1) 本件記事の見出しを一般読者の普通の注意と読み方で素直に読めば、これが、「清水建設」が「88年、水戸芸術館も」含む「大型受注」に「相次ぎ失敗」し、「窮状打破へ贈賄」したのではないかとの疑問「?」を投げ掛ける趣旨のものであることを容易に理解することができる。

(2) 更に付言すれば、一般に、新聞記事は読者に対し端的に物事を伝達することを最大の役割としているから、事件や問題のやま(最も報道価値の高い部分)を出来るだけ最初に置くように構成されている。そのため、やまは記事の見出しに表示され、その内容がリード部分に示される。右のような新聞記事の構成の在り方からすれば、新聞記事の見出しと名誉毀損の関係が問題となった場合における名誉毀損の成否は、記事本文の用語の意義を逸脱した用語を見出しで使用した場合、あるいは本文記事と背理し、前文・見出し自体は虚偽である場合などの例外的場合を除き、原則として見出しのみではなく、見出しを受けたリード部分及び本文の記事の内容、配列並びに表現形式等を総合して、一般読者の普通の注意と読み方を基準に判断されるべきであり、リード部分及び本文を離れて見出しのみで判断されるべきではない。

これを本件記事についてみると、リード部分及び本文を一読すれば、右見出しは、前記の例外的な場合に該当しないのはもとより、清水建設が水戸市発注の水戸芸術館建設工事や茨城県発注の大型工事の受注に相次いで失敗したことから、大型プロジェクト受注を狙い、竹内前知事に現金攻勢をかけたとみられる旨の記事を簡潔かつ忠実に要約したものであり、水戸芸術館建設工事に関して贈賄の疑惑のあることを何ら報道したものではないことは明らかである。

(二) 本件記事のリード部分及び本文

原告が問題とするリード部分及び本文についても、清水建設が逆転受注されたことについて不正行為が介在したとの記述は一切なされていないのであるから、一般読者の普通の注意と読み方を基準にすれば、本件記事内容から、水戸市発注の水戸芸術館建設工事に関して疑惑があると読み取ることはできない。本文記事における「営業活動」とは、水戸市が水戸芸術館建設工事において、構想が明らかにされてから落札されるまでに、受注を希望する建設業者が合法的な多岐にわたる様々な営業活動を展開することを意味するに止まり、違法ないし不正な活動を意味するものではない。また「市幹部」とは、市のいわゆる三役の外、事柄の性質上関連部長などを含むものと解されるところ、「市幹部など」と記載されているため、関連係長など前記記載以外の下位の者も含まれていると解され、したがって、「市幹部など」との記載が原告個人を指すものということはできない。

(三) 以上のことからすれば、本件記事が原告の名誉を毀損したものでないことは、明らかである。

なお、原告は、本件記事のコピーが大量に配付されたことを問題とするが、新聞記事は、元来、第三者作成にかかる文書とは無関係である。第三者が自らの責任において新聞記事を利用するのであって、第三者の行為によって新聞社に責任が生ずるようなことがあってはならないのは自明の理である。

四  主要な争点

1  本件記事が原告の名誉を毀損するものであるか否か。

2  本件記事が原告の名誉を毀損するものであった場合の損害額及び原告の名誉を回復する適当な方法の如何。

第三  争点に対する判断

一  争点1(名誉毀損の成否)について

1  本件記事と原告との関連性

(一) 本件記事を通読すれば、本件記事は、清水建設が一九八八年に水戸市が発注した水戸芸術館建設工事について当初受注が本命視されながら、ライバル会社に逆転受注された経過を記述するとともに、その後も清水建設が茨城県や水戸市発注の大型工事の受注に相次いで失敗したことから、同会社の会長らの首脳陣が大型プロジェクトの受注を狙い、竹内前茨城県知事に贈賄工作をしたとみられるとする旨を記述したものであることが認められる。そして、本件記事の中には、原告個人を名指しする部分がないのは勿論、原告がその地位にあった水戸市長に直接触れるところもないことが認められる。

(二) しかし、甲第一五、第二六、第二七号証、第三四号証の一ないし九、乙第二三号証及び証人関周行の証言によれば、水戸芸術館は、水戸市が市制施行百年を記念して総工費約一〇三億円で、音楽・演劇・美術の芸術三部門の複合施設として建設し、平成二年三月二二日開館されたものであるが、その構想と建設は当時の水戸市長であった原告が積極的にこれを推し進め、館長には音楽評論家の吉田秀和を招聘するとともに、その運営費に市の予算の一パーセントを支出するなど、他に例をみない取り組み方であったことから、新聞、雑誌などで全国に広く紹介され、水戸芸術館は佐川(原告)市政を象徴するものとも評されていたことが認められる。これよりすれば、水戸芸術館と原告のこのような関係は、茨城県民の広く知るところであったと推認される。したがって、水戸芸術館に関する記事の内容如何によっては、それが原告に対する名誉毀損となりうる可能性を排除することはできない。

2  本件記事の検討

(一) 判断基準

(1) 記事一般について

一定の新聞記事が他人の名誉を毀損するものであるか否かは、新聞が一般の大衆をその読者としていることから、一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきものである。

(2) 見出しについて

① 見出しは、記事の本文を簡潔に要約し、もって読者に記事の概要を伝えるとともに、これを読む意欲を引き出そうとするものであるから、本文記事を的確に表現するものでなければならないが、見出しが限られた文字数によって表現せざるを得ないことは、その性質から生じる必然的な制約である。それだけに見出しの表現が時として的確性や妥当性を欠き、読者に記事本文の内容とは異なる理解と印象を与えることのあることは否定できないところである。

② ところで、こうした的確性や妥当性を欠く見出しについて名誉毀損の成否を論ずる場合には、前記の如き見出しの性質から生ずる制約や元来見出しは記事本文と一体をなすものであることなどを考慮すれば、見出しが記事本文の内容と明らかに背理するなどの特段の事情がない限り、見出しのみでなく、記事のリード部分や本文も一体として検討したうえ、これを判断すべきものということができる。

③ しかし、本件記事は、原告が立候補した本件選挙の選挙運動期間中、しかも投票日前日に掲載されたものである。

いうまでもなく新聞社を始めとする報道機関は、報道の自由を保障されており、これは憲法の保障する基本的人権の一つとして深く尊重されなければならないものであるが、これをその果たす役割の面から見ると、報道の自由は、我が憲法が定める民主主義を支える大きな柱として重要な機能をも果たしているものである。即ち、国民は、権力によって規制を受けない自由な立場の報道機関から伝達される情報を得ることによって、初めて自己の参政権を正しく行使することができるのである。報道機関が今日の社会において様々な特別の取扱いを受けるのも、こうした意味からに外ならない。したがって、報道機関は、本来正確な事実を報道することをその責務とするものであるが、こと国民の参政権に影響を及ぼす事実を報道するにあたっては、その正確性についてより高度の注意義務を負担しているものというべきである。殊に、国民や住民の代表者を選出する選挙は、主権者たる国民がその権利を行使する最も重要な機会(選挙権を行使する者に限らず、原告のように被選挙権を行使して立候補した者についても同様である)であるから、選挙運動期間中において、報道機関が立候補者の適格性などの有権者の投票行動に影響を及ぼしかねない事実を報道するときは、その正確性には格別の注意を要し、真実を正確に伝えるべく、表現方法についても読者に誤解を与えることのないよう細心の注意を払う義務があるといわなければならない。

そして、このことは記事の見出しについてもいえることであり、誤解を与えるような不適切、不穏当な表現は厳にこれを慎まなければならない。けだし、読者は、必ずしも常に記事の本文に目を通すとは限らないのであり、見出しのみを見て、記事に対する誤った認識と印象を持つ可能性があるからである。

そうであるとすれば、選挙運動期間中の新聞記事の見出しについては、それが立候補者の政治的、社会的評価にかかわる事実に触れるところがあったならば、通常の場合とは異なり、それ自体独立して評価の対象となるものと解すべきであって、見出しの表現のみによって、名誉毀損の成否を判断すべく、リード部分や記事本文の記述によって免責されることはないというべきである。

(二) 見出しについて

(1) 本件記事の見出しの意味は、リード部分と本文を読めば、被告が主張するように、「清水建設が水戸芸術館を含む大型受注に相次いで失敗したことから、その窮状打破のために贈賄したのではないか」との疑問を投げ掛けるものであることを理解することができる。しかし、この見出しだけを一般読者の普通の注意と読み方をもとに見れば、原告が主張するように「清水建設が大型受注に相次いで失敗したことから、水戸芸術館についても、その窮状を打破するために贈賄したのではないか」との意味にも読み取ることができ、この点において、本件記事の見出しは的確・妥当を欠くものといわなければならない。

(2) そうだとすれば、この見出しによる表現は、一般読者に対し、清水建設が水戸芸術館の建設工事についても贈賄したのではないかとの印象を与えかねないものである。更に、水戸芸術館の建設を推進したのは当時の水戸市長であった原告であり、しかも後記のとおり、本件記事が掲載されたころ世を騒がせたいわゆる「ゼネコン疑惑」の対象となったのは地方公共団体の首長であったことからすれば、右見出しによって、少なくとも茨城県下の読者が本件記事を、水戸芸術館の建設工事について、原告が清水建設から贈賄を受けたのではないかとの疑惑を間接的に報道するものと理解しても、決して不思議ではない。

(3) そして、読者に以上のような印象と理解を持たれるということは、本件選挙に立候補している原告にとっては、その適格性を問われる重大な問題であるから、本件記事が本件選挙の選挙運動期間中に掲載されたものである以上、先に説示したように、被告は、本件記事のリード部分と本文の記述をもって免責されることはないというべきである。

(三) リード部分と本文について

(1) 本件記事のリード部分と本文には、水戸市が発注した水戸芸術館建設工事は当初清水建設が受注を本命視された旨の記述がある。しかし、このような大規模な工事は、指名競争入札によってその受注者が決定されると考えるのが普通であるから、事前に本命視される受注者があるということは、入札前に業者間で談合があったか、あるいは市長など上層部のいわゆる「天の声」によって事実上受注者が決定されていたのではないかとの疑いを抱かせるものである。そして、本文には「各社は激しい受注合戦を繰り広げた」との記述があるから、これによれば業者の談合が存在したとは考えにくいところである。そうすると、当時のゼネコン疑惑が地方公共団体の首長の「天の声」によって受注者が決定されていたことをその背景にしていたこと(弁論の全趣旨によって認められる)を併せ考えれば、前記リード部分と本文の記述を一般読者の普通の注意と読み方で見ると、当時の水戸市長であった原告が指名競争入札前に清水建設に受注させる旨を示唆していたものと理解し、原告と清水建設との間に何らかの不正常な関係があることを疑っても不自然ではない。

(2) 次に、本文は、「清水建設が敗れたのは、ライバル会社が同市幹部などを相手に営業活動を展開、それが功を奏したためだとされた」と記述している。しかし、原告も主張しているように、指名競争入札が正しく行われれば、落札者は入札価格によって決定されるのであり、幹部に対する営業活動などによって影響を受けるものではない筈である。したがって、一般読者の普通の注意と読み方で右記事を読めば、指名競争入札が正しく行われなかったのではないかとの疑いを抱くのは当然である。そして、その原因は、水戸市幹部などに対する営業活動ということとなるが、なるほど記事の中には違法若しくは不正な行為があったとする記述はないものの、少なくとも読者が、正常ではない営業活動が市幹部に対し行われたのではないかとの印象を持ち、市幹部の頂点に立つ市長に対し不信の目を向けても不思議ではない。

被告は、右の「営業活動」とは水戸芸術館の構想が明らかにされてから落札されるまでの受注を希望する建設業者が行う合法的かつ多岐にわたる行為を意味するに止まると主張する。しかし、本件記事には、清水建設が既に受注を本命視されていたとの記述があり、受注者を決定するについて正規の手続とは別に市当局の意思の働く余地のあることを示唆しているのであるから、これをもとに、各社は激しい受注合戦を繰り広げた結果ライバル会社が逆転受注したという記事の内容を読めば、すべての読者が右営業活動を被告主張のように理解することは困難である。

3  本件記事の違法性

(一) 原告が問題とする本件記事の見出し、リード部分及び本文は、一般読者の普通の注意と読み方で見れば、前記のような趣旨の記事として理解し、若しくはそうした印象を持つ余地のあるものである。そして、被告の主張によれば、右の如き理解と印象は、本件記事の本来の内容とは異なるものであるというのであるから、本件記事は、一般読者に原告について前記の意味での誤解を与えかねないものといわなければならず、これと同旨の本件全日版記事についても同様のことがいえる。

なお、原告は、本件記事の内容は虚偽であると主張するが、本件記事が原告主張の意味の事実を報道する趣旨のものではないことは被告の自認するところであることに加え、客観的にも原告主張の意味以外に解する余地がないとも断定できないのであるから、本件記事が虚偽であるか否かについて判断する必要性は認められない。

(二) 右のような誤解は、それ自体原告の政治的、社会的評価と信用を低下させるものであるが、原告が立候補した本件選挙は、前茨城県知事が公共事業につき大手総合建設会社から贈賄を受けた容疑で逮捕され、辞任した直後の選挙であり、証人関周行の証言、甲第四ないし第一〇号証、第一五、三〇号証、乙第三号証の一、二、第四ないし第六号証、第七号証の一、二、第八ないし二〇号証及び弁論の全趣旨によれば、当時は、地方公共団体の首長と大手総合建設会社の公共事業に絡む疑惑、いわゆる「ゼネコン疑惑」が大きく連日のように報道され、社会の耳目はこの点に集中していた観のあった時期であり、当然のことながら、茨城県民が次の知事にはこうした疑惑とは無縁の清廉な人物を望み、各候補者もこぞってこの点を強調していたことが認められるのであるから、その投票日前日に掲載された本件記事(本件全日版記事も含む。以下同じ)は、立候補者としての原告の政治的、社会的評価などに打撃を与え、その名誉を毀損したものというべきである。

4  被告の責任

(一) 原告は、被告が原告の政治的、社会的評価などを失墜させる目的で故意に本件記事を掲載した旨主張するが、そこまでの事実を認めるに足る証拠はない(掲載日の前日の二四日から二五日にかけて被告の水戸支局長が不在であったことは、当事者間に争いがないが、この事実をもってしても、被告の故意を推認することは相当でない)。しかし、前記のように一般読者に誤解を与えかねないような本件記事を本件選挙の投票日前に掲載したことには、少なくとも過失があるといわなければならない。

(二) また、証人関周行の証言及び甲第三〇号証によれば、本件記事の写しが投票日前日から投票日にかけて大量に茨城県下に配付されたことが認められ、このことは、本件記事が本件選挙に利用されたことを物語るものである。被告は、それは第三者のしたことであり、被告とは無関係であると主張するが、甲第二八号証によれば、新聞倫理綱領第二のハには、「ニュースの取り扱いに当たっては、それが何者かの宣伝に利用されぬよう厳に警戒せねばならない」と規定されていることが認められるのであり、被告がこのように本件記事が利用されることを予測していなかったとすれば、誠に迂闊であったといわなければならない。

二  争点2(損害とその回復措置)について

1  前記のとおり、本件記事によって原告が名誉を毀損されたことは認められるが、本件全証拠によるも、原告が本件記事の故に本件選挙に落選したとの事実までは、これを認めることができない。そして、本件記事が原告を名指しして虚偽の事実を摘示したものでないことなど、その他本件弁論に顕れた一切の事情を考慮すれば、本件記事によって原告の被った精神的苦痛を慰藉するに足る金銭の額は、一〇〇万円と認めるのが相当である。

2  原告は、慰謝料の請求に併せて謝罪文の掲載を求めているが、前記のとおり本件記事が原告を名指ししたものではないこと、その他諸般の事情に照らせば、原告に対する名誉回復の措置として、謝罪文の掲載を命ずる必要はないと認められる。

第四  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、金一〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達日の翌日であることが記録上明らかな平成五年一〇月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は理由がないから、これを棄却することとして、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川﨑和夫 裁判官山﨑勉 裁判官矢数昌雄)

別紙一 謝罪文<省略>

別紙二 掲載条件<省略>

別紙三(一)(二)<省略>

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